御本社大神輿の勇壮な神輿振りを支える長柄四間半(8.1m)の二天棒。昭和26年製作の担ぎ棒が修繕を終え、初めての御神幸祭(本まつり)となった平成30年天王祭は、もみ綱の新調や天王祭の文化財登録など、幾重にも重なる御祝とともに迎えたお祭りとなりました。
当社は、先の大戦空襲により御本殿・神輿庫を除く諸建造物が灰燼に帰し、担ぎ棒も焼失しました。未だ連合国軍占領下の昭和26年。昭和12年以来途絶えていた宮神輿の渡御が14年ぶりに行われる戦後第一回の天王祭・御神幸祭に際し、現在の担ぎ棒が篤志の宮元有志により御奉納されました。 今回の修繕を担当した神輿店によると、「現在で同等材での製作は困難」な程の素晴らしい国産ヒノキが用いられ、「都内でもこれ程良材の担ぎ棒は残っておらず、後世に自慢できる財産」と高い評価を受ける逸品です。
戦後間もないときに、斯様にも優れた材を求め、御祭禮の再開・地域伝統文化の復興・継承に御尽力された先人たち。また、それを見て受け継ぎ語り継ぎ、それぞれの代における大・中・小 3基宮神輿の調製修繕や、「もみ綱」新調。《受から授・私から公》へと成長変化し、無数の【過去の今】の蓄積が【現在の今】となり、平成30年1月に荒川区無形民俗文化財登録となりました。
千貫神輿・神輿振り。威勢のいい若者だけが対象ではありません。掛け声・手拍子のお爺さんお婆さん、山車を曳くお子さんたち、割烹着姿の婦人部や交通整理に徹してくださる方々……。先人たちとともに、老若男女の区別なく、氏子みんながタイトルホルダー(文化財保持者)。
御本社大神輿修繕完成船渡御
(昭和63年)
昭和天皇米寿の佳き歳、荒々しい神輿振りにより損傷激しい大神輿の大修繕を行いました。昭和63年5月8日、千葉県行徳の浅子神輿店で修繕を終えた神輿は、御座船を先頭に十数艘の船団を率いて東京湾を経て隅田川を上り、30数キロにわたる船渡御を古式ゆかしく斎行いたしました。千住大橋付近では浦安の舞を奉奏ののち、大型クレーンで引き揚げ、めでたく宮入り帰社いたしました。
鳳車修繕完成引き取り式
(平成2年)
平成の御大典を奉祝し、大正14年調製の鳳車の修繕を日光社寺文化財保存会に依頼。日光東照宮等を手掛ける名匠名工たちの手により、「動く陽明門」と評される見事な修復が成されました。修繕完了に際し、日光東照宮御神前において御禮の神輿振りを奉納いたしました。